| 2019年8月15日 | 心と潜在意識 |

夫婦間や、過干渉な親子の間で非常によく見られるケースがあります。
何かを少し口に出した瞬間、間髪入れずに「愚痴を言っている暇があるなら、解決のためになにか動けばいいじゃないか」「相手にだって言い分があるのだろう」と、正論のアドバイスをされてしまう状況です。
こうした関わりの中では、人は絶対に「心の安全」を感じることができません。結果として、行き場を失ったネガティブな感情は、さらに大きく膨れ上がってしまうことになります。
不安は、ただ「不安」として語られ、受け止められなければなりません。そうでなければ、人はそれを「自分を責められた」と受け取ってしまいます。それが防衛的な姿勢を生み、事態はさらなる悪循環へと陥っていくのです。
実は、他人との間にストレスを抱えるとき、人はどれほど自己正当化をしようとも、自分の感じ方が100%正しいとは信じ切れていません。
相手に対して心から腹を立てていながらも、同時に「そんな風に怒る自分は器が小さいのではないか」「人間として未熟なのではないか」という、微かな後ろめたさを抱えているものです。
この後ろめたさを抱えたまま、誰にも受け止めてもらえずにいると、人はその後ろめたさを見ないで済むように、ますます自己正当化の壁を強固に築かざるを得なくなります。結果として、よけいに自分の感情の檻にとらわれていくのです。
だからこそ、安全な相手に自分の話を聞いてもらい、「そんな目に遭ったんだね」「それは大変だったね」と感じ方そのものを肯定してもらうことが必要なのです。
「私は、こう感じて良かったんだ」と魂が安心したとき、人はもう、自己正当化のために無駄なエネルギーを使わずに済むようになります。その結果、感情の呪縛がするりと緩み、初めて物事を客観的に見つめる余裕が生まれてくるのです。
ただ共感的に話を聞くということには、それほどまでに巨大な力が宿っています。
また、人間が自立を迎えるプロセスにおいても、この「感情の噴出」は必要不可欠な関門です。
多くの子どもは、思春期を迎える頃から親の考え方に対して「おかしい」「変だ」と明確な違和感を抱くようになります。そして、内側から湧き上がる怒りの感情を、親に向かって剥き出しでぶつけるようになるのです。
特に、それまで親から強くコントロールされ、抑圧されて育ってきた子どもほど、その反抗は激しく狂暴になる傾向があります。親が「絶対にやってほしくない」と眉をひそめる行動を徹底的にやり抜いたり、容赦ない暴言を浴びせたり、親の人生観や価値観を全面的に否定したりします。
しかし、この「反抗期」を激しくともしっかりと全うできて初めて、子どもは親との間に揺るぎない境界線を引くことができ、親の呪縛から脱却することができます。
これこそが、心理的な自立のプロセスの正体です。親にとっては身を切られるようにつらい時期となりますが、反抗期は子どもの成長において、絶対に省略してはならない神聖な時期なのです。
同時に、子どもの反抗期は、親が「子離れ」を果たすための最大のチャンスでもあります。
親は、激しく反抗する我が子の姿に深くがっかりすると同時に、ある決定的な真実に気づくことになります。
「子どもを、自分の意のままにコントロールすることなど不可能なのだ」
「子どもは、親の所有物ではない」
「この子にはこの子の人生がある。ならば、私は私の人生を生きよう」
つまり、反抗期とは、子どもが自立するための関門であると同時に、親が子離れして自立していくための通過儀礼なのです。
親がこのプロセスを通して、子どもの前で「ちゃんとがっかりし、ちゃんとあきらめる」ことができると、子どもに対する過度な執着心を綺麗に手放すことができます。
そのあきらめの先に初めて、「私は、私の人生を生きよう」という、親自身の本当の自立心が生まれます。それこそが、人生の後半戦を、一人の人間として心から幸せに生きるための、最も美しい心の準備となるのです。














