| 2019年7月10日 | 心と潜在意識 |
「離婚」という言葉を前にするとき、多くの人はそこに「失敗」や「敗北」という陰鬱な影を見てしまいます。
しかし、本質的な意味において離婚とは、ただ「両者の合意のもとで結婚という契約を解消する」という事実に過ぎません。それはさまざまな宗教やイデオロギーによって理念上制限されることはあっても、現代の先進国においては、あくまでも個人の尊厳を守るための「法律上の行為」として定義されています。
私たちは、真に豊かな恋愛や結婚を全うするために、何が本当に必要なのかを知り、そこに向かって実直に努力していく必要があります。だからこそ、同時に知っておかねばならない真実があるのです。それは、「決定的に噛み合わなくなり、お互いの人生を損なうようになった関係を、いつまでもダラダラと続けるべきではない」という厳格な選択の視点です。
たとえ二人で膝を突き合わせ、どれほど話し合って問題を解決しようとしても、どうしても分かり合えないことはあります。しかし、たとえ関係の修復ができなかったとしても、決して絶望する必要はありません。
あなたの恋愛や結婚が思い描いた結末を迎えなかったからといって、その時間が「無駄」だったわけでも、あなたの人生が「失敗」したわけでもないからです。
二人の関係を良くしようと必死にもがき、あらゆる努力を尽くすプロセスの中で、私たちは「どうすれば関係が良くなるか」ではなく、皮肉にも「ああ、この関係はもう限界なのだ」という絶対的な事実に気づかされることがあります。
しかし、その限界をあきらかに見極められたこと自体が、人生における極めて重要な「果実」なのです。
どんな恋愛からも、どんな結婚生活からも、私たちは必ず何かを学び取っています。
本当に価値があるのは、「関係が続いたか、終わったか」という表面的な結果ではありません。大切なのは、その不条理な渦中で何を学び、どう葛藤し、その体験を通じてどれほど一人の人間として「成長できたか」というプロセスそのものなのです。
そうであるならば、「これ以上関係を続けるよりも、お互いの道を歩んだ方が明らかに向こうの人生のためになる」と理性的かつ明確に判断できる事態に至ったとき、「離婚する」という決断は、人生における極めて有意義で前進的な選択肢の一つとなります。そこから十分に学びを収穫し、その後の未だ見ぬ人生のために堂々と生かしていけば良いのです。
愛し合っているはずの二人に、なぜ時に決定的な「別れ」が必要となるのでしょうか。
それは、お互いの、あるいはどちらか一方の人生や、かけがえのない「自由」が、その関係性によって無残に奪われてしまうときです。
恋愛や結婚は、自己犠牲を強いる慈善事業ではありません。自分が相手に利用されているだけ、あるいは自分ばかりが相手に奉仕し続けるだけの非対称な関係は、どれほど美しい言葉で飾ろうとも、やがて確実にお互いを蝕み、不幸を生み出すことになります。
真のパートナーシップとは、お互いが自立し、共に高め合い、成長していくものだからです。
しかし悲しいことに、現実の世界では「愛していないから」という理由で別れるカップルは非常に稀です。彼らの関係が破綻していく本当の理由は、もっと根深く、残酷な「相性の悪さ」にあります。
結婚した後に初めて表面化してくる、個性や価値観の致命的なズレ。そして、その違いをどうしても許し合えないという絶望的な「相性の悪さ」は、夫婦の間に深刻なコミュニケーション障害を引き起こし、やがて双方の精神を生存の危機へと追い込んでいきます。
人間の心の奥底には、根源的な「愛着恐怖」が潜んでいます。
「もう愛されないかもしれない」
「見捨てられるかもしれない」
「拒絶されるかもしれない」
この恐怖は、私たちの脳にとっては「生命の危機」そのものです。ゆえに心は、生き残るために「闘争(攻撃)か、退却(逃亡)か」という極限の危機反応を引き起こします。そして悲劇的なことに、夫婦という密室の関係においては、多くの人が「闘争反応」を選んでしまうのです。
このとき、胸を支配している主要な感情は、怒りではなく「恐怖」です。見捨てられる恐怖が極度に高まったとき、それは歪んだ敵意へと転化し、最悪の場合、闘争反応として相手に暴力を振るうという破滅的な結末を招くことになります。
結婚とは、どれほど深く愛していようとも、あくまで「他人」との共同生活です。いくら籍を入れ、人生を共にすると誓った相手であっても、その人は「他の人」であり、決して「自分自身」にはなり得ません。むしろ、共に暮らすということは、相手と自分との間にある大小無数の「違い」を、日々発見し、受け入れていく終わりのない旅なのです。
人生において最も身を切られるほど辛いことの一つは、自分が必死に築き上げてきた関係がうまくいかず、もう別れるべきだと自らの過ちや限界を認めなければならない瞬間です。
「朝目が覚めたら、すべての悪夢が消え去り、状況が変わっていればいいのに」と、どれほど涙を流して願っても、そんな奇跡は起きません。「パートナーが明日、突然私の望む通りの理想的な人間に生まれ変わってくれたら」と期待しても、その幻想が叶うことはないでしょう。
トラブルを抱えた関係を救うために、できる限りの努力をし、あらゆる手を尽くすことは大切です。しかし、それでもなお、このパートナーと関係を続けていくことができない、あるいは続けたくないという冷厳な結論に達したのならば――その時こそ、私たちは自らの人生に対して、誇り高き「決断」を下す必要があります。
痛みに震えながらも、現実をあきらかに見つめ、エゴを手放して「離婚をする」ということ。それは決して人生の敗北などではなく、あなたが新しい光の中へと踏み出し、真の人間的成熟を遂げるための、最も神聖なステップなのです。















