過保護、過干渉な親から子どもがうける影響

2019年6月5日 心と潜在意識

母性にはプラス面とマイナス面があります。

1つは子どもを慈しみ(情けをかける、慈愛)育む側面で、

もう1つは子どもを呑み込んで束縛していまう側面です。

つまり、母性には正負の両面があり、正の面が出ると、ありのままの子どもを受け入れて慈しむ母性となりますが、負の面が出ると、

心配しすぎ
過保護
過干渉
過期待

になって子どもを呑み込み、自立させない母性となってしまいます。

 

例えば、激しい口調で

「宿題をやりなさい 」
「もっと勉強しなさい」
「もっと頑張りなさい」

と子どもにいつも口やかましく言う父親がいるとします。

子どもに厳しくいう姿は、一見父性的にも見えます。

しかしこの父親の場合は、父性よりも、母性の負の側面が出ているのです。

子どもと自分の間に境界線を引くことができず、子どもを一人の独立した人格として見ることができず、子どもの日々の時間の使い方にまで口を出しています。

これはまさに、子どもを呑み込んでしまう負の母性です。

 

親が、自らの去勢のプロセスを経て万能感を手放し、ある程度しっかりした自我を確立し、自分と他者の間に境界線を引けるようになっていれば、子どもに対して母性を発揮するとき、正の面が出やすくなります。

つまり、

「自分の思い通りに子どもを育てることができるはずだ」

という万能感を親が手放し、自分と子供の間の境界線を大切にすることができるようになっていれば、母性を発揮するときに負の面は出にくいのです。

 

また、父性には、母性の負の側面を抑える働きもあります。

たとえばある家庭で、母親のほうが子どもとの間に境界線を引けなくて、子どもに対して

「あれをしなさい、これをしなさい」

と、過干渉になっているとします。

ここで父親が、

「子どもが自ら選ぶことを尊重してやろうよ。子どものことは子ども自身にまかせてやろうよ」

と、父性の「切り分ける(境界線を引く)」機能を発揮し、さらに、子育てについて夫婦間で対話する方向に持っていけば、母親が母性の負の面を出すのをある程度抑えることができます。

 

 

現代の子どもたちは、遊びたい欲求をずいぶん抑圧しているように見えます。

内発的動機による行動を抑え込んでまで、外発的動機による行動(例えばテスト勉強や受験勉強など)

に時間を費やしているように見えるのです。

 

今の学校教育の制度では、既成の知識をいかに正確に理解し覚えるかということに、子どもたちは多くの時間を費やさざるをえません。

そのため、内発的動機による日々の自由な選択の機会を失っています。

つまり、生きる力を育む貴重な機会を失っているのです。

 

「現代人の多くが子供時代に自由な生き方を見失ってしまっている」
「自分を拠り所にできなくなり、創造性や独自性を抑えるような生き方を身につけてしまう」

 

本来子どもというのは、好奇心にあふれていて、さまざまなものに対して興味、関心を抱く存在です。

自らのうちなる声に耳を傾ける力もちゃんともっています。

 

ところが、子どもが自分のうちなる声にしたがおうとしても、それを大人が邪魔してしまうことが多いのです。

 

もちろん、大人のほうも悪意があるわけではありません。

それが子どものためになると信じて、

「将来のために勉強しなさい」
「遊びは我慢して塾に行きなさい」

などと言うわけです。

 

実は、大人たちにそのように言わしているものが、背景にあるのです。

それは現代という時代の社会通念です。

 

社会通念とは、ある社会の中で多数の人々に共有されている考え方のことです。

人間の歴史を振り返ってみると、どんな時代にも、その時代特有の社会通念があることがわかります。

 

ある時代に当たり前のように信じられていた常識や、大多数の人が自然にやっていた風習が、
現代人の私たちからすると、とても奇妙なものに思えたりします。

当時の人は何の疑問も感じていなかったことなのに、私たちには違和感が感じられるのわけです。

それは、当時の社会通念と現代の社会通念が違うからです。

 

もしも、私たちが、自分を拠り所にして自由に生きていきたいと願うなら、まず、この社会にどのような社会通念や常識が浸透しているかに気づく必要があります。

なぜなら私たちは、無意識のうちに社会通念や常識に縛られていて、それが自由な生き方の妨げになっている可能性があるからです。

 

そのような縛りから解放されたいと思うなら、まず

「何が自分を縛っているのか」

に気づく必要があるのです。

 

自分が生きてきた環境を外から俯瞰し、

「この社会の中では、どのような社会通念や常識が信じられているのか」
「それらは、本当に真実なのか。幸せな人生をもたらすものなのか」
「自分はそれらに、どのくらい影響を受けているのか」

などについて洞察することが大切なのです。

 

もちろん、社会通念のすべてが私たちの自由な生き方を縛っているというわけではありません。

まず、どんな社会通念があるのかに気づき、そのうえで、それらを検証することが大切です。

そして、役に立つ社会通念は大いに大切にすればいいし、また、自分の幸せを妨げる社会通念があれば、その縛りから自由になることもできるのです。