自由人を見習う

 

 

先日、熱海の日帰り露天温泉へと足を運んでまいりました。

目の前に広がる景色を眺めながら湯に浸かる時間は、心と身体のすべてがほどけていくような、この上なく素晴らしく心地よいひとときでした。

なによりも、今回ご一緒した友人の佇まいが、私に大切なことを教えてくれたのです。

その友人は、一言で表現するなら、どこまでも「自由」な人でした。

それでいて、周囲に対する謙虚さを決して忘れることはなく、同時に、自分自身の純粋な欲求も一切我慢しない。そんな絶妙な調和を、ごく自然に体現しているのです。

翻って私たち現代人は今、かつてないほど膨大な量の情報や知識に囲まれて生きています。

多くの人は、日々押し寄せるそれらの情報を処理し、記憶することだけに忙殺され、自らの考えを深く掘り下げたり、内なる心の声にじっくりと耳を傾けたりする暇を失っているように思えます。既成の知識や世間の「常識」という見えない鎖に縛られ、自らの自由な発想を制限してしまっている人も少なくありません。

ですが、本当に問題なのは、情報や知識が溢れていることそのものではないのです。

どれほど膨大な情報に囲まれていようとも、他者ではなく「自分自身」を唯一の拠り所として自由に生き、自らの創造性や独自性を鮮やかに発揮していくことは、いつだって可能です。

人間という存在は、命としては等しく平等ですが、この世界においては常に「公平」に判断されます。やはり、自らが積み重ねた努力や情熱の量に比例して、人生は公平にジャッジされるのです。

そして、人間に与えられた最大の長所とは、何ものにも侵されない「自由性」を持っていることです。

この世の中は、必ずしも自分の思い通りには動かないようにできています。しかし、だからといって自分自身の自由性まで手放す必要はどこにもありません。思い通りにならない現実すらも、自らの人生に深みを与え、深い味わいをもたらすためのスパイスとして、優雅に愉しんでみること。

そのような絶対的な自由性から生まれる人生の「ゆとり」を、私たちは今こそ、しなやかに身につけていくべきなのです。