愛のとりせつ

2020年4月7日 心と潜在意識

愛とは、他者が決めるものではない

「あの人は愛があるよね」

「それは愛のない行動だよね〜」

日常でよく耳にする言葉ですが、本来「愛」とは、他者が勝手にジャッジして決めるものではありません。そして、優しいことだけが愛ではないのです。

では、愛とは一体なんなのでしょうか。

私たちは、他者や動物に対して思いやりや優しさを溢れさせている人を一目見ると、そこに「愛」を感じやすい性質を持っています。なぜなら、その行為が社会的な「善」であり、理想であり、自分自身にとって受け入れやすいものだからです。

たとえば、私たちが赤ちゃんを「愛らしい」と感じやすいのも、赤ちゃんが「無条件に許されやすい、受け入れられやすい存在」だからに過ぎません。

だからこそ、もし自分の子どもが泣くことに対してイライラし、受け入れられないお母さんがいたとしたら、そのお母さんは「自分は愛のない人間なんだ……」と激しく自分を責めてしまうのかもしれません。

けれど、本当にそうなのでしょうか。

愛というものは、私たちが何かを「裁くこと」をやめ、完全にフラットな視点に立ったときに初めて、そこに“ただ在る”と気づけるものなのではないでしょうか。

「宇宙は愛でできている」とよく言われます。

私は、どんな人にも、どんな物にも、等しく愛は存在していると感じます。

この地球に生きている限り、どんなに優しい人の上にも、どれほど冷酷な人の上にも、等しく朝日は昇り、夕日は落ちていく。そこには、良いも悪いも、正しいも間違っているもないのです。

優しい人が正解で、厳しい人が不正解というわけでもありません。

愛は、理屈でこねくり回して語るものではなく、ただ感性で感じとるもの。

自分の感情が波立っていない静かなとき。

何かを値踏みしたり、評価したり、裁いたりしていないとき。

その、頭の中の「思考」が止まった静寂のなかに、愛は最初から満ち溢れているのだと思います。