「やってみればわかる」は無責任な言葉

2020年3月4日 心と潜在意識

「やってみれば、わかるよ」

「動けないのは、あなたがやらないからでしょ?」

セミナーや講座を開く「教える立場」の人たちが、まるで免罪符のようにこの決まり文句を使うたび、私は強い違和感を覚えます。

伝えている本人は、自分の感覚で掴んでいるのかもしれません。しかしそれは、単に「相手に伝わる言葉として表現する努力を放棄している」だけではないでしょうか。

自分が体現できていることと、それを他者に再現可能な形で伝えることができるのは、全く別の問題です。

感覚を言葉にする労力を惜しみ、曖昧なまま相手に押し付ける。その結果、教えを乞う側は「できない自分が悪いのだ」と、ただ責められているような痛みを抱えることになります。そこへさらに踏み込んで質問できる人がいなければ、そのコミュニティは、ただお互いの傷を舐め合うだけの「曖昧な集団」へと堕ちていくのです。

言語化できないのであれば、最初から「私には教えられない」と認めるべきです。

実は、私自身もかつて、自分の感覚を相手に伝えることができないもどかしさから、この決まり文句を最後の武器のように使っていた時代があります。

しかし、それは武器などではなく、ただ「相手の心をバッサリと切り刻む刃」でしかなかったと、ある時気づいたのです。自分の未熟さを隠すために、相手に罪悪感を植え付けていた。その傲慢さを激しく反省しました。

人を導く立場にある者は、自らが発する言葉に、冷徹なまでの責任を持たねばなりません。

私もまだまだ、学びの途上です。だからこそ、自分の内側にある感覚や曖昧な領域を、どこまでも明晰な言葉で伝えられるよう、泥臭く言葉を磨き続けていきます。