| 2019年6月19日 | 心と潜在意識 |

自分の気持ちを限界まで押し殺し、いつも相手の顔色ばかりを優先して生きている人がいます。
実は、こうした生きづらさを抱える人の大半は、子供の頃から周囲に都合のいい「良い子」として育ってきたケースがほとんどです。
親の期待や歪んだ愛情に応えようと必死に頑張ってきた「良い子」は、大人になってからも無意識に他人の期待を満たそうと奔走し、気がつけば「自分という存在がどこにもいない人」になってしまうのです。
心理学的な本質を言えば、「手のかからない、反抗しない子」というのは、未成熟な親や支配的な親、あるいは自己中心的な親にとっては、扱いやすい「素直で都合の良い子」に過ぎません。
悲しいことに、大人の社会で心を病んでしまう人の多くは、子供の頃にそうやって親の奴隷として「良い子」を演じ続け、自分の魂を切り売りしてきた人たちなのです。
親に対して盲目的に従順であり、聞き分けが良いとされる子ども。
それは裏を返せば、**「自分の純粋な欲求や感情を、徹底的に無視することを強いられてきた子ども」**であり、内面は驚くほど精神的に脆弱です。
そのような「良い子の生き残り」が、大人になってから本当の自分自身を取り戻すためには、まずは麻痺してしまった自らの欲求や感情に気づき、それを「何よりも大切にしていく練習」を死に物狂いで重ねていく必要があります。
世間では、自分の気持ちを抑えて他者に譲ること、波風を立てないことが「美しい美徳」のように語られがちです。しかし、いつも相手の欲求ばかりを優先している人の生き方には、あまりにも致命的な無理があります。
一見、相手を尊重している聖人のように見えますが、その実態は、我慢によるストレスを内側に溜め込み続けているだけに過ぎません。そんな状態では、相手との関係を心から楽しむことなど不可能ですし、やがてその関係性そのものに心底疲れ果ててしまいます。
その結果、お腹の奥底には、相手に対する黒い敵意や激しい怒りがマグマのように芽生えてきます。そして、それらの感情がある日突然、制御不能になって大爆発を起こす。
どちらにせよ、自分を犠牲にした関係を良好に維持することなど、最初から不可能なのです。
もし、それでもなお「良い子」の仮面を剥がさずにその関係にしがみつこうとするならば、あなたは一生、自分の欲求を抑え込み続けることになり、そこには共依存という名の、不健全で泥沼のような自己犠牲の関係性だけが残ることになります。
幼い子供にとって、親の不機嫌な態度や冷たい表情は、自らの存在そのものを全否定されたかのような恐怖であり、「このままでは見捨てられて死んでしまうのではないか」という本能的な絶望に直面することを意味します。
このような過酷な経験を何度も繰り返すと、子供の脳には恐怖の回路が刻み込まれます。
「なんとしても親の期待に応えなければ」
「自分の気持ちを100%押し殺してでも、親を喜ばせなければ生き残れない」
そうやって強迫観念のように駆り立てられ、自分の喜びを捨てて、親の機嫌を取ることを最優先する生き方を選ぶようになります。
これは、小さな子供が子どもなりの必死のやり方で、自らの命を「まもっている」防衛戦略なのです。親から拒絶されないために、その期待に100%過剰適応することは、非力な子供にとっては自らの安全を確保するために不可欠な選択だったと言えるでしょう。
ところが恐ろしいことに、人間は、子供時代に親との歪んだ関係の中で身につけたサバイバル用の「対人関係スタイル」を、大人になって全く別の人人間が相手の場合にも、そのまま自動適用してしまう生き物なのです。
私たちは幼少期、世界を生き抜くために「私はこのように生きていこう」という人生の基本方針を、無意識のうちに決断しています。これを心理学で**「幼児決断」**と呼びます。
それは幼い未熟な思考による決断ではありますが、それこそが、大人になってからのあなたのすべての無意識の行動を支配する強力な源泉になるのです。
たとえば、子供の頃に「相手の期待を決して裏切らないように生きよう。そうすれば見捨てられない」と幼児決断した場合――大人になって、目の前にいる相手が親とは何の関係もない他人であったとしても、その幼児決断が心の奥底で呪いのように生き続け、相手の期待に応えるために自分の身を削って頑張ってしまうわけです。
確かにその決断は、かつて親の庇護がなければ一歩も生きられなかった子供時代には、自分の命を守るために「せざるを得ない絶対的な決断」だったのかもしれません。
しかし、すでに自立し、誰に依存しなくても生きていける大人のあなたにとって、その「相手の期待を決して裏切らないように生きよう」という決断は、冷静に考えてみれば、あまりにも不条理で、かつ実現不可能なナンセンスです。
たとえば今、あなたが誰かの期待を裏切り、その人を不機嫌にさせたとしても、大人のあなたにとって、それによって自らの命の安全が脅かされるような脅威など、どこにも無いはずです。
つまり、大人の私たちは、もう自分の欲求や大切な気持ちを押し殺してまで、他人の機嫌や期待に奉仕するような奴隷の人生を送る必要は、1ミリたりともないわけです。
ここに、ひとつの有名な比喩があります。
こちらの川岸から向こう岸まで安全に渡るために、あなたは「船」を使ったとします。しかし、向こう岸に無事に着いたのなら、その船はそこに捨てて、陸地は自分の足で歩いて進めばいいはずです。
川を渡る時には命の恩人だったその船も、陸地に上がってからは、ただの重荷でしかないからです。
かつて子供時代にあなたを守ってくれた「幼児決断」という名の船も、大人になった今のあなたにとっては、ただの重苦しい足枷にすぎません。
それなのに多くの人は、子供時代に役立ったその船を、大人になっても大切に持ち続けます。
これはまるで、**「向こう岸に着いた後も、巨大な泥船を背中に必死で背負いながら、陸地をトボトボと歩き続けている」**ようなものです。その姿は、あまりにも滑稽で、あまりにも痛々しいとは思いませんか。
本当の「自尊心」とは、他人に認められることではありません。
それは、「自分のことを、何があっても価値ある存在として100%信頼する心」であり、**「自分の内側から湧き出るどんなネガティブな感情をも無条件に受容して、ありのままの自分を烈烈に愛する心」**のことです。
自分の欲求や意見を、誰に対しても堂々と、かつ率直に表現する態度のことを「アサーティヴな態度」と呼びます。このアサーティヴな態度を日常で訓練し、実践していくと、あなたの内なる自尊心は爆発的に高まっていきます。
また、自尊心が高まるにつれて、他人の顔色を伺うことなく、アサーティヴに自分の気持ちを表現することが、呼吸をするように自然にできるようになります。
アサーティヴな態度が自尊心を育み、その自尊心がさらにアサーティヴな態度を加速させる――。
この最高の黄金の好循環を起こすために、いきなり上司やパートナーといった難しい状況にチャレンジする必要はありません。
まずは、日常生活の中の比較的難易度が低いシチュエーションにおいて、勇気を持って、凛とした態度で「ノー」を言う練習から始めてみてください。
その小さな「ノー」の積み重ねこそが、あなたの聖なる領域を守り、他人に侵入させないための、強固な「境界線(バウンダリー)」を創り上げていくのです。














