大きすぎる不安にはどんな危険性が潜んでいるのか?

2019年5月22日 心と潜在意識

不安がありすぎると、その不安に目をつぶろうとしてしまいます。

そして、「大丈夫、大丈夫」と言いながら、いつの間にか大火事になってしまうのです。

 

たとえば、模試の結果が志望校のレベルにまったく届かないにもかかわらず、「大丈夫、大丈夫」と言っている受験生は多いものです。

そんな受験生には「判定がEなら可能性はないから、志望校を変えなければいけない」などと客観的な事実を突きつけて、どうしたらいいのかという対策を考えさせる。

 

初めは誰にでもそれを拒否する精神作用があります。

そのため、模試は絶対に受けたくないと言いだしたり、受けても結果は見なかったり、結果に合わせて自分の勉強方法を修正したりもしない、などということが起きるかもしれません。

 

その背景にあるのは、不安がいっぱいで、現実をみたくないということ。

そんな精神作用(メンタリティ)を修正しないと、結局は不安におしつぶされ、現実を見ずに突っ走っていってしまうのです。

 

大学四年になっても就職先が決まらず、「でも大丈夫」といいながら卒業を迎えてしまう人。

とりあえずフリーターになって、また「大丈夫、大丈夫」と思ったりもするけれど、現実に具体的な行動を起こさない。

それはぼーっとしているとも言えますが、実は不安のあまり、現実を見たくない面が強いのです。

どこかの会社の入社試験を受けるなどのチャレンジをして駄目だったら、世の中がより一層暗く見えてくるからです。

それも十社ぐらいから拒絶されると、大きなダメージになります。

 

嫌な自分を受け入れるのと同時に「学ぶこと」が改善への1つの手段です。

 

現代人は孤独に対する恐怖感がとても強いので、携帯電話やインターネットでメールやツイッターをし続けずにはいられない人が非常に多いです。

 

ただ、学ぶことを身につけていると、より自分らしくいられる静かな時間や孤独が、むしろ歓迎すべきものになるはずです。

 

必ず人は老いていきます。

人生が後半に入り、晩年に向かえば向かうほど、

「自分が存在した意味は何だろう?」

などといった不安を伴う問いに襲われるようになるようです。

あるいは、

「自分を真に理解してくれる人はいない」

と思ったり、仕事もなくなって、社会における自分の存在意義がよくわからなくなったりします。

そうなると、他者に認められて自分の存在感を確認することが難しくなってしまいます。

 

特に定年を迎えた後の男性は自分のアイデンティを保つのが非常に苦しくなります。

それまでは、ポジション的にも尊敬され必要とされていたのに、定年を迎えた途端に不要とされ、家でも邪魔者扱いされたりします。

当然、寂しくなります。

 

しかし、学ぶことによって、自分の存在意義を自分で作り出すことができます。

いわば「存在意義の自給自足」みたいな感じです。

人生の残された時間を「学び」中心に変えていけば、自分がいま存在していることの充実感を得ることができるのです。

 

中には、ものの「消費」によって充実感を得る人もいますが、人間の欲望は際限ないので、1つ手にいれるとすぐに次がほしくなるもの。

なので、最終的な満足感を「消費」によって満たすことはできません。

 

人間は生まれた瞬間からコミュニケーションをしなければ生きていけません。

 

だから、赤ちゃんはコミュニケーションの仕方をどんどん学びます。

「こう泣くと、おっぱいがもらえる」
「にっこり笑ったら、何かいいものがもらえる」
「こうすると褒められて、こういう食べ方をするとしかられる」

1つ1つステップを踏み、その家の風習をはじめとするあらゆるものを学んでいく。

人間は学ぶ力が備わっていなければ生きていけない存在なのです。

 

一番大事なのは、自分にとって必要なことを聞く事ができる力です。

 

自分には何が欠けているのか、何があれば自分は上達するのか、ということを聞ければ、相手が優れた人なら的確にアドバイスをしてくれるでしょう♪